著者:トリイ・ヘイデン
訳:入江真佐子
出版社:早川書房
この物語は、著者であるトリイ・ヘイデンのクラス(特別支援学級)で本当にあったノンフィクションだ。
著者のトリイが受け持つ生徒たちは、生まれ持って障害をもつ生徒。情緒障害がある生徒。虐待を受けていた生徒。様々な背景をもった生徒たちだ。その中でも今回の物語は、一人の重度の情緒障害を先天的にもっている母親がメインとなって話が進む。
誰が見ても息をのむほどの美貌をもち、博士課程を経て知識を備え持つ、この女性。母として、妻として、何もかもを持っているように見えた。だが、何より一人の人として、とても上手な生き方とは言えなかった。
家庭内では、子供の障害も怒ることは全て母親の責任だと夫に言われ続けて過ごしていた。障害は母親がとるに足らないからだと言われて、良い母親なら子供の今の状況をよく出来ただろうと責められる。助けを求めても、相手にされず、考えが甘いと言われては、言いくるめられる。
そんな毎日を過ごしながら、酒と男に逃げる毎日。
余るほどのお金を与えられても、愛情も関心も与えられない。

お金があれば大半を得ることが出来るという。地球にある大半を得ても、心が満たされないのなら“生きていたい”と思えるのだろうか。夫が望む、美しい女性という動く人形でいることは、“生きている”と言えるのだろうか。人形として、心がないまま着せ替えを楽しみ、好きなものを食べて、良いところに住む。時間は過ぎて、いつか本当に動かなくなる。
それまで、ただ過ごせばいい。我慢すればいいことかもしれない。
彼女の心は、閉ざされていった。
その中で、著者のトリイに出会うことで変わっていく。関心を示してくれること。外見ではなく一人の友として人として存在を認めてくれることは、彼女にとって、当たり前ではなかった。
いくら良いものを食べ続けても、満腹を過ぎれば苦しくなる。疲れて眠りについても、起きたいと思うときが必ず来る。いくら良いものを求め続けても完全な満足感を受けることはない。常に高みを求めて生きる存在が人であり、“ないものねだり”、“隣の芝生は青い”とはよく言ったものだ。
一つだけ世界で唯一無二だと感じることがあるとすれば、愛する人に愛されているときだろう。
同情から関心に、関心が愛にかわる。
この物語を読んで、友情という“愛”がどのように育まれたのかゆっくり見ることができた。
この著者は、いつも物語に出てくる登場人物の後の成長を追って一言二言記してくれる。
秘密にして私の想像力を使わせない、この方法を私はとても気に入っている。
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