
《自分を愛するように隣の人を愛しなさい》
聖書を読んだことがなくても一回は聞いたことある、この言葉。私は初めてこの言葉を知ったとき“他人に優しくしなさい”という解釈をしました。でも、少し成長してから、自分を愛するように周りの人を愛するとは、どういうことだろうかと考えるようになりました。
自分を愛するように他人を愛するとは?
まず、私はどうやって自分を愛しているのだろう?
自分を、愛していますか?
誰かに「自分のこと好き?」と聞かれたら、何と答えますか?
私は…
「好きじゃない。」
好きなものを食べて、好きなことをすることが、自分を大切にしていること?
生きることは、自分を大切にしていること?
私にはわからないし、自分に全く自信がありませんでした。
自分を大切にするということ
自分を愛すると聞けば、まず“ナルシスト”が思いつくかもしれません。ナルシストは、人と比較する視点が入っています。そして、他人より長けている、秀でているから愛されるべき存在であって、愛されていると思うことです。
私は他人より、容姿が良い。頭がいい。天才だ。だから、嫉妬する人もいて当然だ。私は特別なのだから。
これに反して、セルフラブという言葉があります。セルフラブとは、他人と一切比較しません。セルフラブを自分のものとしている人は、まず自分の欠点を把握しており、欠点さえも自分の一部であると認めています。

セルフラブ
セルフラブは、他人と比較することではありません。自分という存在を、まず認めます。自分の長所短所を考える機会は今まで何度かあったかもしれません。自分のことを考えるときに、無意識でも誰かと比べてはいませんか?生活する中で、ランク分けが自動計算されています。
自分を大切にすることに、誰かの評価や許可は必要ありません。
セルフラブとは、自分を見つめることにより、自分を大切な存在、かけがえのない存在だと気付くためのものです。自分を蔑む言葉を使うことが謙虚であると捉えられるような社会の中でも、自分の心ではしっかりと自分を大切に、愛する必要があります。
生活環境によってセルフラブがいけないことのような感覚を受けるかもしれません。
それは、違います。
誰かを頼って、自分を愛して、守ってくれる存在をこの広い世界で探すより、最も身近で片時も離れることのない自分の心に見出すことが最善の策です。

自分を愛することで、変わること
セルフラブは、自分の存在の欠点でさえも受け入れる方法を説くものです。セルフコンパッションもその一つです。“欠点でさえ受け入れる方法”を身につけると、他の欠点を見た時も、同じように受け入れることが出来るようになります。受け入れるというのは、一時の感情を爆発させることがないということです。一つのことで、相手の存在のすべてを判断しないということです。自分を大切にすること、成長を楽しむのも私自身です。隣にいる人も同じように、隣の人なりの人生があり生き方を生きていると思うようになります。
自分の心のなかに、自分の居場所を見つけることができたなら、そこはとても安全な場所です。周りの雑音も、振動にも揺らぐことのない場所で周りの環境の騒々しさや変化を落ち着いて眺めることができるようになります。

自分を大切にするように、人を大切にすること
誰かを評価する必要はありません。
誰も、そのような権利を持っていません。
でも、この社会には自分こそが権利者であるとふんぞり返っている人が多くいます。私は、私自身を評価して罵倒して蔑んできました。自分には、そんな権利がないことを知らなかったからです。知らないということは、時にとても酷なことです。知るタイミングは人により異なります。
この記事を読んでいる方は、今、《知るタイミング》です。
《知るタイミング》が人それぞれだと知ることで、「あぁ…この人は、まだなんだ。」と思うことができます。どんな存在であっても生きる価値は平等に生まれてきます。自分を大切に思うように、価値あるものとしてすべてを認める心をもつことで周りの人たちにも同じ視点を持って関係を築いていくことができます。
…ひとつだけ、大切なことがあります。それは自分の心が危険だと感じるとき、その場を必ず離れましょう。人を大切にするように、自分を大切にすること。自分を大切にすることは、あなたを大切に思う人のためになります。
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